ヒバゴンの正体・・・諸説いろいろ
ヒバゴンの正体は?

謎の怪獣ヒバゴン出没によって、比婆郡西城町は町中がヒバゴンの話題で持ちきり、そして連日のマスコミ取材、更には県外から探険調査隊の訪問・・・ しかしながら、決定的なヒバゴンの正体解明の手掛かりが得られることはなかった。
そんな中、謎の怪獣ヒバゴンの正体について様々な説が飛びかった。このページでは、当時取り沙汰された(であろう)ヒバゴンの正体に関する諸説紹介、そしてそれらの疑問点などをまとめてみました。

 大ザル説.... 群から離れた老いた大ザル?
 謎の怪獣ヒバゴンの風貌は正にサルそのものである。地元の目撃者達の証言を振り返ってみても、全身が黒褐色または茶褐色の毛に覆われた生き物で、そのまま『サルみたいなもの』、『年老いた大ザル』 といった表現がなされている。
 この『ヒバゴン=大ザル説』、やや疑問点が残るところもあるが、最も有力な説として受け入れられているのではないだろうか…?
ニホンザル
ニホンザル
(宮島野猿公苑)
情報
謎の怪獣ヒバゴンの目撃情報によると、「全身が黒褐色または茶褐色の毛に覆われていて、二足歩行ができる生き物」、目撃証言からもずばり「サルみたいなもの」、「年老いた大ザルのよう」といった証言が得られている。

ヒバゴン騒動が持ち上がる数年前から、比婆山一帯で、ちらほら「大ザル」を目撃した人がいたらしい。(但し、地元の人に聞いても、サルが群れで目撃されたという例はない)

サルが年老いて死期が近くなると、山で活発にエサを探す体力を失って、食べ物が手に入りやすい人里に降りてくることもあるらしい。ヒバゴン騒動のさなか、トウモロコシやクリなどの食べ残しなどが見つかったこととも符合する。

比婆郡西城町の東隣となる比婆郡東城町の帝釈峡あたりには、野生のサルが生息している。そちらから流れてきた年老いた離れザルではないかという話が地元の人々の間でなされていたらしい。

1974年(昭和49)8月… ついに謎の怪獣ヒバゴンの写真撮影に成功した。その写真には、かなり不鮮明ながら、大猿らしき生物が写っていたという。さらに、その写真撮影者は「顔は真っ赤で、歳をとったサルらしい」と証言している。
疑問
地元の複数の目撃者が何故普通の「サル」だと断定できなかったのか? おそらく単なる普通の「サル」ではなかったからこそ、これほどの騒動に発展したのではないだろうか?

日本国内で野生のサルと言えば、「ニホンザル」が有名である。この「ニホンザル」が立ち上がったとしても、ヒバゴン目撃情報にある身長150-160センチメートルには到底及ばない。これほどの大ザルは、おそらくこれまでにも確認されていない?

通常、ニホンザルは移動する際に四つ足で歩く。目撃情報や足跡発見情報では、明らかに謎の怪獣ヒバゴンが頻繁に二足歩行で移動している様子が伺える点で疑問が残る。

通常、ニホンザルは顔とお尻が赤い、また目立つ大きな尻ダコを持っていることが多い。ヒバゴン目撃情報では、この赤い顔やお尻、そして尻ダコらしきものが確認された例は数少ない。特に比婆郡西城町で初期の頃に目撃されていたヒバゴンでは、全くそれらしき特徴が確認されていない。

1974年(昭和49)に写真撮影された生物と1970年(昭和45年)のヒバゴン騒動の初期の頃に比婆郡西城町で目撃された生物とは、かなりその目撃証言による特徴においてくい違いがあるように思われる。時間・場所的にかけ離れた両者の目撃情報… 全く別々の生物をそれぞれが目撃していた可能性が高いと思うのだが・・・?

 類人猿説.... ゴリラ や オランウータンの可能性?
 ヒバゴン目撃証言によると、その身長は約150-160センチメートル。普通のニホンザルがここまで大きくなった例は確認されていない。 ・・・となると、ゴリラオランウータンなどの『類人猿』がその正体ではないか? といった説も浮かび上がってくる。実は、謎の怪獣目撃に関する初期の頃の新聞報道でも『類人猿』の見出し文字が頻繁に使われていた。
 学術的に『類人猿』とは、人間を合わせた霊長類のなかのヒトニザル科… ゴリラチンパンジーオランウータンなどを含んでいる。
オランウータン
オランウータン
(広島市安佐動物公園)
情報
目撃者の話から、もっぱら大ザルが有力ではあるが、ニホンザルなどはそれほど大きくならない。そうなると、ゴリラ等の大型霊長類がその正体ではないかと浮かび上がってくる。

現生の最大の霊長類はゴリラで、その身長は立った状態で160センチメートル程度。これは目撃情報にかなり近い。また、二足歩行ができるという点でも特に大きな矛盾は見あたらない。

顔は「写真で見たゴリラの顔にそっくり」というそのままの目撃情報もあったようだ。

ある専門家は発見された足跡の形や、目撃情報の背丈・動作・全身毛に覆われているといった特徴などが、オランウータンの特徴と一致すると主張していた。かつて、密輸入された30頭余りのオランウータンが行方不明になっているという新聞報道もなされていた。
疑問
一般に、ゴリラをはじめとした類人猿の仲間は、アフリカや東南アジアなどの熱帯雨林の地域に生息している。一方、比婆郡西城町の年間平均気温は13℃未満であり、かなりの低温地帯と言える。また、冬になると積雪も多い地帯であり、ヒバゴン騒動の中心地である比婆山をはじめ、周囲にはスキー場もたくさん存在している。こんな寒い地域で、熱帯雨林に生息していた霊長類が長期間に渡って活動・生存していたということはとても考え難いことである。(但し、標高1500メートル以上の山地林に生息しているマウンテンゴリラの例はある)

熱帯雨林に生息するオランウータンの場合、ほとんど樹上で生活しているらしい。ところが、謎の怪獣ヒバゴンの目撃情報において、樹上で目撃された例は極めて少ない。

 クマ説.... クマであれば、何故これほどの騒ぎに?
 あれほど大きなサルは見たことが無い。そしてゴリラやオランウータンでは気候的に生存するのは難しい・・・ ということになると、寒い地方でも活動できる『クマ』がヒバゴンの正体ではないか? という考えが出てくる。実際、それらしき目撃情報もあるようだ。
 でも、目撃された生き物が本当に『クマ』であったのなら、何故地元の目撃者は『クマ』と認識できなかったのだろうか・・・?
ツキノワグマ
ツキノワグマ
(広島市安佐動物公園)
情報
謎の怪獣目撃情報や足跡の調査から、頻繁に二本足で直立したり歩行していることが確認されている。クマであれば、二足歩行も充分ありうる。そして、その身長の点でもかなり近いものがある。(この点、この地域で多く飼育されていた牛では、まずあり得ないことである)

どこかの目撃情報で、胸の当たりに白っぽい毛が生えていた といったような情報もあったと聞く。これは、ツキノワグマの胸に白い毛が生えていることに符合している。 また、別の情報では、「顔がやや長くて、イノシシクマに似た感じ」という情報もある。その情報によると、「胴が長く1メートル以上もあった」という。

つい最近でも野生のツキノワグマが西中国山地に生息することが知られている。山口、広島、島根三県でツキノワグマの保護管理計画など情報交換がなされているとういう新聞報道もあるくらいだ。
疑問
地元の人に話を聞いたところ、ヒバゴンが頻繁に出没した地域では、イノシシは頻繁に出るものの、クマが出没したという情報は皆無に等しい状況だったらしい。

もし仮に、謎の怪獣ヒバゴンの正体がクマであったとしたならば、その複数の目撃者達は何故クマと認識できなかったのだろうか? どちらかと言えば、目撃情報では霊長類らしき特徴が多く捉えられており、その正体をクマとすることは非常に無理があるようにも思う。言い替えると、その正体をクマとする目撃情報はそれほどなかったように思う。

目撃情報の中には、「顔がやや長くて、イノシシクマに似た感じ。胴が長く1メートル以上」といった情報も確かにあったようであるが、他の多くの目撃情報と異なる点が多い。これは、別の生物を見たのではないかとも思われるのだが・・・。

 人間説.... 山人、野人か?
 謎の怪獣ヒバゴンの正体は『山人』または『野人』ではないかという説がある。人類も類人猿の一種であり、ヒバゴンが類人猿の特徴を多く持っていることと、その正体が人間であることはそれほど矛盾するものではない。
 当時のヒバゴン新聞報道でも、『山人説』などの人間説が取り沙汰され、地元民のやや眉唾ものの噂話まで交えながらその正体を推測している。
山人、野人?
野生の人間?
情報
「県民の森」近くでヒバゴンの足跡なるものが発見された。その足跡と近くで採取された体毛を鑑定した結果、人間のものである可能性が指摘されている。

ある目撃情報によると、動物の毛皮をつなぎ合わせたようなものを着て歩く男?が目撃されている。もしかしたら、この辺りを徘徊していた浮浪者か、或いは山でひっそりと暮らしていた山人だったのかもしれない。

折しもヒバゴン騒動のさなか、グアム島の横井さんやルバング島の小野田さんが日本への帰国を果たしている。このお二人は、終戦を知らずして戦地の山林に隠れ住み、長年生き延びていた日本人である。ヒバゴンもそんな人達と同じような戦時中の生き残り兵だったのかもしれない。

昭和初期の頃、比婆山に近い山村で身重の娘が姿を消した。その娘は山へ駆け込み、産み落とした子供が野生化したのがヒバゴンではないかとの噂話があったらしい。 別の話では、戦時中に毛深いサルのような子供が産まれたが、その容姿を恥じてヒモでくくっていたところ、いつしか山へ逃げてしまった。それがヒバゴンの正体ではないかと・・・。

当時、実際に人里を離れて山中で1人ひっそりと暮らす人もあったと聞く。実は、そんな人がヒバゴンの正体だったのかもしれない…?
疑問
いくら人間が野生化したとしても、サルやゴリラやクマ等に似た野生生物との区別はつくのではないだろうか?数ある目撃情報の多くは、決して人間の特徴を捉えられておらず、どう聞いてもやはりサルやゴリラの類ではないかと思われる。

戦時中の生き残り兵がこんな山中にまで来たかどうかは、はなはだ疑問ではある。この辺り、相当の田舎であるために、戦地となったこともないであろうし、また山村ののんびりした生活を見れば、敢えて隠れ住む必要もないと思うのではないだろうか?

果たして、野生の人間がこんな県北の山中で暮らすだろうか?なんといってもこの辺り、冬場は特に寒いし、積雪も多い。もっと南に行けば、もっと温暖で住みやすい場所がいくらでもあったのではないだろうか?

 町おこし陰謀説.... だとしたら、一体誰が・・・?
 このページの作者的には、決して信じたくない説ではあるが・・・ どこからともなく『町おこし陰謀説』、或いは『県民の森売り出し説』が沸き上がっていたという話がある。要するにヒバゴンは全くのインチキであり、宣伝のためのでっち上げということである。
 もしでっち上げであったとしたら、一体誰がこんなことを考えたのだろうか?
町おこし陰謀説
黒幕は誰だ?
情報
誰が言い出したのかは定かではないが、ヒバゴンは、県民の森の宣伝を狙ったでっち上げであるといった噂があったようだ。

ヒバゴン騒動の中心地となった県民の森は、県民憩いの場・青少年の教育の場として1968(昭和43)に建設着手された。そして、最初のヒバゴン目撃が1970年(昭和45)7月、当時県民の森の造成工事も最終段階に進んでいたという。さらに、最初のヒバゴン目撃からピッタリ1年後となる1971年(昭和46)7月、県民の森がオープンしている。これは余りにもタイミングが良すぎ、計画的な陰謀めいたものを感じた人がいても決して不思議ではない。

ヒバゴン騒動の結果として、比婆郡西城町は一気に知名度を高め、全国的にも有名になったことは間違いない。またその当時、西城町の町長さんが中央で陳情をした際、ほとんどが簡単に通ったらしい。もしも、本当に『町おこし』であったとしたら、狙い通り… いや、予想以上の大成功だったにちがいない。
疑問
県民の森を売り出す目的で、意図的にヒバゴンのような危険性のある謎の生き物を登場させるだろうか?当時の新聞報道を見ても、ヒバゴン目撃者達は皆が恐怖心をいだいていることがわかる。こんな恐ろしい怪獣の存在は、場合によっては逆効果になる可能性もあるのでは…?

1970年(昭和45)ヒバゴン目撃情報が相次いだ当時、『町おこし』といった意識を持った人がどれほどいたかについては、はなはだ疑問ではある。折しも、高度成長期・・・ それほど『町おこし』といった意識は現在ほど高くなかったではないかと推定される。もしも仮に『町おこし』を狙ってヒバゴンが創作されたとするならば、予想以上の効果にその黒幕(張本人達)もビックリしたに違いない…?

もしも仮に『町おこし』を狙った陰謀だったとすると、一体誰がこんなことを考え、実行したのだろうか?それによって、利益を得るものがいたのだろうか?

 単なる誰かのイタズラ説.... そんな暇な人がいたのか?
 このページの作者的には、こちらも決して信じたくはない説ではあるが・・・ 単なる『誰かのイタズラ』である可能性も否定できない。
 もし単なるイタズラだったとしたら、何を目的としてこんなことを思いついたのか? そして、それほど暇な人がいたのだろうか?
誰かのイタズラ?
ただのイタズラ?
情報
ヒバゴン目撃情報は、どちらかと言えば山中でも動きやすい夏場に集中している。この辺り、冬になると積雪がかなり多い地域であり、冬場はとてもイタズラするために山中に入ろうという思いは浮かばない… といったところだろうか?

ヒバゴン騒動を聞きつけて、何度か全国の大学探検隊などが現地調査に訪れている。しかしながら、謎の野生生物が確実に生存していたという物証・痕跡は得られていない。野生の生物が生存していたとしたら何らかの手掛かりがもっと見つかっても良いような気がする・・ これが、もしもイタズラであったならば、そういった物証・痕跡が見つからないのも納得できるが・・・。
疑問
これほどの全国的な大騒動になるまでイタズラをやるだろうか?普通であれば、あれほどの騒ぎになり始めたら躊躇すると思うのだが…?

もし単なるイタズラだったとしたら、何を目的としてこんなことを思いついたのか? 誰かがヒバゴンの着ぐるみを作ったのだろうか? そして何より、それほど暇な人が存在したのだろうか? やはり、「単なるいたずら」という説は、かなり可能性が低いような気がする。

・・・で結局、謎の怪獣ヒバゴンの本当の正体は何だったのだろうか? 今となっては、もう誰にも分からない。 永遠のロマンなのだろうか・・?

前のPageへ HomePageへ
Copyright(C) 2001-2003 T.Kaze/Family Page Hiroshima